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2021年4月に「神戸市健康科学研究所」と名称を変更しました。
それまでは、「環境保健研究所」でしたが、市民の命と健康に関する業務が中心になってきたことから、端的にその使命と業務を表す施設名としました。
新型コロナウイルス感染症が広がってからは、PCR検査の中心的役割を果たしています。変異株のゲノム解析では、国内の研究所の中でパイオニア的役割を果たしています。
新型コロナウイルスのゲノム解析は、約3万の塩基配列を解析し、ウイルスの種類を決定する業務です。いち早くN501Y変異を持つアルファ株(英国株)を確定し、全国に向けてこの変異株の広がりを警告しました。現在では、デルタ株(インド株)の状況を日々調査するとともに、新たな変異株の出現も監視しています。
神戸市では、市内の陽性検体を研究所に集約し、国立感染症研究所と連携しながら独自にゲノム解析を行う体制を構築できていることが強みです。変異株を含め、市内の感染状況を迅速に、そして正確に把握することができています。
研究所の創設は100年以上前にさかのぼります。1912年に市立東山病院内に設置された「市立衛生試験所」からスタートしました。
1918年から1921年にかけてはいわゆる「スペイン風邪」が全世界で流行し、我が国でも2,300万人以上が感染、38万人以上もの方が死亡しました。神戸市内では約7,000人が犠牲になったと記録されていますが、当時の神戸市政は、試験所を含め、強い使命感を持って感染症対応に当たりました。
研究所は、戦後になると、科学物質に起因する中毒や高度成長期における大気汚染・水質汚濁など新たな健康危機管理事例への対応を行い、時代の変化とともに発生する新たな公衆衛生上の課題に対して、科学的・技術的知見に基づく対応を行ってきました。
1973年に「神戸市環境保健研究所」へ名称変更し、1981年に現所在地のポートアイランドに移転しました。
阪神・淡路大震災では研究所も被災しましたが、一時は約23万人を数えた被災者が過ごす避難所における感染症対策や食中毒対策、弁当などの衛生管理を行い、厳しい状況に置かれた被災者の健康管理に貢献しました。
2009年には国内最初の新型インフルエンザ患者が神戸で確認されました。市民にとっても、また全国的にも関心の高い事案であり、研究所は、精度の高い検査を迅速に行い、正確な情報を市民に提供しました。
長い歴史の中で、研究所はそれぞれの時代環境において、知識や経験を蓄積し、社会的使命を果たしてきました。そうした積み重ねが研究所員の間で脈々と受け継がれ、現在の変異株監視体制に繋がっています。
神戸市健康科学研究所は、全国に80以上ある地方衛生研究所の中で、その実績が最も注目されている研究所の一つです。
今後とも、市内の感染症や食中毒などの健康危機管理事例に関する検査・研究、環境衛生や食品の安全確保における行政検査などを行いながら、市民の安全・安心を守っていきます。