古墳時代
古墳づくり 古墳は一人の豪族を葬るためにつくられ、立派な石室に大きな棺が入れられました。棺の中には、墓の主が身につけていた飾りや鏡・剣などがいっしょに納められました。こうした古墳の大きさと棺の中の豪華な品々は死者の権力の強さをあらわしています。
円筒埴輪と朝顔形埴輪
5世紀後半になると、これまでより多くのひとたちが小さな古墳をつくるようになります。木の棺を直接埋めたり、石でつくられた部屋(横穴式石室)に木や石の棺を納めた古墳も登場してきました。
子持勾玉と青銅製品
住吉東古墳のすべて住吉東古墳は、6世紀はじめごろにつくられた全長24m、高さ1.5mの帆立貝型の古墳です。古墳からは立てられた多くの円筒形の埴輪が見つかりました。馬、家、人物を形どったものもあります。古墳に直接埋められた木の棺には、鉄の刀ややじりが納められていました。
復元した埴輪列
馬形埴輪
人物埴輪の頭部
家形埴輪
古墳時代:豪族の館
柵に囲まれた建物 権力をもった豪族は、柵や堀で囲んだ中に、整然と配置された大きく立派な館をつくりました。館では豪族が『かみ(神)』の力をかりて、人々を治めていました。6世紀のはじめにつくられたこのような館のあとが、長田区の松野遺跡で見つかっています。
柵に囲まれた建物全景
柵に囲まれた建物
柵に囲まれた建物
古墳時代:むらのくらし
家とむら 古墳時代のむらのくらしは、弥生時代とくらべて大きく変化しました。人々は竪穴住居だけでなく、高床の堀立柱建物でも生活するようになりました。竪穴住居では、床の中央にあった炉にかわって、壁ぎわにカマドがつくられるようになりました。
古墳時代のくらしの使われた道具
むらのまつりむらでは、さまざまな自然の恵みを祈ったり、災いを鎮めるためのまつりをしていました、井戸、川、溝などからは、水に関係するまつりのあとが多く見つかっており、滑石でつくられた玉類はこれらのまつりに使われた道具のひとつと考えられます。
玉つくりのむら古墳時代には、埴輪や須恵器をつくるむら、玉をつくるむらなど、ある品物を専門的につくるむらが生まれました。西区の新方遺跡では碧玉や滑石を加工して玉をつくっていたむらのあとが見つかっています。
古墳時代:新しい技術の登場
光り輝く装身具 5世紀の中ごろ、朝鮮半島との交流が盛んとなり、これまで日本になかったさまざまな進んだ技術や品物が伝わり、多くの渡来人が海を渡ってきました。金メッキの技術は豪族の冠や耳飾をつくるのに使われ、光輝く装身具が流行しました。
装身具・須恵器
硬い土器の出現縄文時代から続く野焼きの赤い土器とは違う、灰色でより硬い須恵器が登場しました。ろくろを使って形を整え、窯で焼かれるのが特徴です。『須恵器』は陶器の始まりです。
鉄の普及このころ朝鮮半島から多くの鉄が輸入され、鉄を加工する技術も発達しました。よろいやかぶと、刀などの武器がたくさんつくられるようになりました。また、刃先が鉄でできた鍬や鋤などがつくられ、田畑を耕したり、古墳や水路をつくるのにたいへん役立ちました。
乗馬の風習乗馬の風習もこのころ朝鮮半島から伝えられました。多くの鉄でできた馬具がつくられるようになり、古墳からも多く見つかります。鉄の武器を身につけ、馬に乗った豪族の姿が想像されます。