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第2話 北野の天神さま

最終更新日:2020年10月9日

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1000年以上昔、京の都では藤原一門が高い地位につき、政治に大きな力をふるいました。

そこで宇多天皇や醍醐天皇は藤原氏をおさえようと、学者として名高い菅原道真(すがわらのみちざね)を取り立て、道真はとうとう右大臣になりました。ところが、左大臣の藤原時平が道真をおとしいれ、道真は政治をひとりじめしようとしているという疑いをかけられて、昌泰4(901)年都を追われ、九州にあった太宰府という役所に職を変えられてしまいました。

言いがかりで九州に住まされた道真は、はげしく思いなげき、わずか2年後に九州で亡くなってしまいました。

ところが、そのころから京の都によくはげしいかみなりが落ち、藤原氏の館もかみなりで火事になりました。

やがて、都の人々はささやき始めました。「このひどいかみなりは、九州で無念に死んだ道真公のたたりにちがいない」「あれほど学問ができた道真公は、天の神様の申し子だったにちがいない」「天の神様、天神さまとしておまつりしよう」

こうして、道真は都の守り神として、京都北野に天神さまとしてまつられました。

今の神戸の地を愛した平清盛が、治承4(1180)年に都を神戸の福原に移した時、清盛は、福原京のお守りのために、京都の北野天神を神戸にまねいてまつりました。これが神戸の北野天神の初めだといいます。この神社の近くの村人は、北野という名を村につけて、天神様を深く信こうしました。この北野という地名は、今は異人館があって知られる町の名に続いています。

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