最終更新日:2020年10月9日
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新神戸駅の下で、生田川の本流に支流の苧川が流れこんでいて、そのすぐ北側に小さな丸い布引丸山があり、砂子山ともよばれています。
生田の神さまは大昔、この山の上にまつられていたそうです。そのころは神さまのめぐみで、丸山には一面にたくさん松の木がしげっていました。
千年ほど昔のことです。神戸の地方に大雨がありました。何日も何日もふり続く雨に、人々は山の上の神さまのことが心配になりました。
「よし、わしが神さまをお守りしよう」刀禰七太夫という勇ましい若者が、ごうごうと流れる生田川をわたり、丸山に登りついて、山の上の神さまを背おい、何とか村にもどってきた時、丸山に大きな山くずれがおこりました。「すんでのところで神さまをお守りできてよかった。雨がやむまで、わしの家にいていただこう」
何日かたって雨があがると、七太夫は神さまを背おって村中を歩きまわり、新しい神社の土地をさがしました。ちょうど生田川の西の高台にさしかかった時のことです。
「おや、体が動かぬ。歩けないぞ・・・ああ、ここが神さまのご希望の場所なのだな」
こうして七太夫がまつりなおしたのが、今の生田神社のはじめだということです。
丸山におられた時、多くの松を育てたのに、大雨に対してたよりにならなかったので、生田の神さまは松がきらいになられ、今でも生田の森には松が生えないそうです。