最終更新日:2020年10月9日
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承元元(一二〇七)年、四国の讃岐に流されると中、都から旅して来た法然上人は、脇浜の富松右衛門の家にとまっていきました。上人から仏教の教えを聞いた右衛門は、上人をとても尊敬しました。
承元五(一二一一)年になって、上人は許されて四国から都に帰ると中、また脇浜に右衛門の家をたずねました。近くの人々も上人の話を聞きに集まってきました。
この時、深く心を動かされた右衛門は、とうとう法然上人の弟子になり、自分の家をさし出して、お寺にしてしまいました。これが脇浜にある阿弥陀寺の起こりだと伝えられています。この時、法然上人は、浜辺に村人を集めて言いました。
「この浜辺に、三本の松の枝を束ねて植えましょう。この松が末永く青々としげるように、私の教えも長くずっと信じられていくでしょう」
村人はこの松を法然松とよんで大切に育てていきました。しかし、安永年間(一七七二年~一七八一年)に松はかれ始めました。
そのころ、この脇浜に道喜の夢の中に、ふしぎな老そうが現われ、「法然松が枯れようとしておるが、あの松の木で私の像をほってくれれば、末永く人々を救えるのじゃが・・・」と語りました。
夢からさめた道喜は「あれは法然さまだった。さっそく像を作って、おまつりしなくては」と村人にこの夢の話をして、法然像を作り、浜辺にも若い松を植えついで法然松を生まれかわらせたということです。