最終更新日:2020年10月9日
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布引のたきつぼのそばに「涙石」とほられた石があります。
平安時代のはじめのことです。桓武天皇の長男・平城天皇の孫に在原行平・業平という兄弟がありました。ところが平城天皇のあとは代々平城天皇の弟・嵯峨天皇の子孫がついでいきましたので、二人は京の都にいてもあまり幸福ではありませんでした。
そこで二人はよく都をはなれて暮らしました。ある時、在原行平が芦屋の里(兵庫県芦屋市)に住んでいた時のことです。
都から兄の行平が友人たちと訪ねて来たのです。「それでは、みんなで布引のたき見に出かけよう。日帰りのちょうどいい行楽だ」
大きな岩はだに白い布をかけたようなごうごうと落ちるたきを見ながら、人々は和歌を作りました。業平は「川上でだれかが首飾りのひもを切ったのか。水の白い玉がたえず落ちてくる」と歌いました。
兄の行平はふと都でのめぐまれない生活を思い「幸運を待って流れる私の涙と、この滝の水といずれが多いか」と歌って、ホロリとなみだを落としました。このなみだはそばにあった石の上に落ちて、石の表面で「涙」という字になったということです。
やがて日も西にかたむいたので、人々は帰る用意をしましたが、芦屋の里はかなり遠く、と中でとっぷりと日が暮れてしまいました。東のほう芦屋の方角をながめると、暗やみの中に中にポツポツとともし火が見えました。
「晴れた夜空の星かしら、それとも川辺のほたるかな。いや、芦屋のりょう師のいさり火か」と、業平は和歌を作りました。