最終更新日:2020年10月9日
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千年も昔のことです。平野に住んでいた生田神社の神主さんが、庭にあったりっぱな梅の木を神社の庭に移し植えたそうです。この梅は毎年すばらしい花を咲かせました。
「うすべに色の花も、その香りも、実にみごとな梅の木だ。生田の森のたからものだ」
寿永三(一一八四)年二月七日の源平合戦では、西の一の谷とともにこの生田の森が東の戦場になりましたが、それはちょうどこの梅の美しい花が満開の季節でした。
はげしい戦の最中に、馬に乗った一人のりっぱな若ざむらいが、よろいかぶとに身をかためて、この梅の近くを通りかかりました。
「おお、みごとな梅だ。何というよい香りだろう。花のついた枝を一本もらっていこう」さむらいは折り取った枝を、背中に負った矢を入れるエビラにさして、木からはなれていきました。
やがて、近くに一つの井戸を見つけたさむらいは、その水面に背中のエビラに入れた梅の枝を写し、馬からおりて井戸水をくみました。「この水を生田の神さまにそなえ、戦いの勝利をおいのりしよう」このさむらいは、勇者として知られる梶原景季でした。
戦場にもどって景季がはげしく戦っているうちに、エビラにさした梅の花はいつしか散ってしまっていましたが、かれのまわりにはいつまでもかんばしい梅の香りがただよい、敵も味方も景季をたたえました。
「勇気だけでなく、物のおもむきを理解するりっぱなさむらいだ」
この時から、生田神社のその梅はエビラの梅、井戸は梶原の井と呼ばれるようになりました。