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BE KOBE神戸の近現代史

神戸の戦災復興

神戸のまちは昭和20年3月17日、5月11日、6月5日の大空襲によってほぼ灰燼に帰した。現在の市域における被害は、死者約7,500人超、負傷者は約17,000人、罹災戸数約143,000戸 罹災者数約532,000人であった。

神戸市の戦災復興事業は、国が閣議決定した、「戦災地復興計画基本方針」に基づきながら、単なる復旧でなく、廃墟となった都市を「将来の都市として理想的なもの」を目指すこととし、昭和20年(1945)11月に神戸市復興本部が設置され、昭和21年(1946)3月に「神戸市復興基本計画要綱」が策定された。この要綱には、神戸市の都市としての性格を「国際的貿易海運都市」とし、これに付随して商工業都市、文化都市並びに観光都市といった複合的な機能を備えた都市づくりを目指すことが明記された。そして過大な人口集中を抑制するために、将来、東部、西部、北部の数市町村を合併し、一大国際港都としての機能を十分発揮できる市域とし、将来の神戸の発展を見据えた都市構造と土地利用のあり方が提起された。さらに空港や高速道路など近未来的な課題も要綱に盛り込まれた。

この立案に携わった、後の原口、宮崎の両市長がその執行役となり諸事業が遂行されていく。

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