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神戸の山城

最終更新日:2026年8月18日

ページID:85839

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山城は、山林の中にあり建物や石垣などもない「土の城」で、知る人ぞ知る遺跡です。神戸市内には北区・西区を中心に「山城」はおよそ70程度存在しています。小規模な城が多く、戦国時代の三木合戦に伴う山城が中世の主要な街道周辺に存在してしています。

 

山城とは

山上に築かれたお城のことです。自然の地形を加工し、戦時に兵が配置される平坦地である曲輪(くるわ)を、山を造成して階段状に築きました。その周囲には敵の侵入を防ぐための土塁(どるい)を巡らせ、尾根筋に堀切(ほりきり)を設けました。城の中心部への入り口は虎口(こぐち)といいます。敵の進入を防いで効率よく攻撃できるように造られています。

南北朝時代や戦国時代に爆発的な数の山城が築かれました。これらの城は石垣などもなく全体がほぼ土で築かれており、建物は木造の簡易なものでした。そのため地表面には遺構はほとんど残っていません。現在、広く知られている姫路城などの近世城郭の姿とは大きく異なるものです。

曲輪(くるわ)曲輪

土塁(どるい)土塁

堀切(ほりきり)堀切

虎口(こぐち)虎口
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神戸の山城

神戸は源平合戦をはじめ、南北朝時代や戦国時代の合戦の舞台でした。北区・西区を中心に南北朝時代や戦国時代の山城が伝承地も含めておよそ70程度存在しています。戦国大名松永久秀(まつながひさひで)の居城であった滝山城をはじめ、山中の寺院を城として利用した丹生山城などがあります。また、三木合戦の際には湯山街道(ゆのやまかいどう)などの中世の主要な街道周辺に築かれました。国衆(くにしゅう)の小規模な城が多く、三木合戦の際の織田方の付城も点在しています。
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滝山城(たきやまじょう)

滝山城想像復元図(作図:木内内則氏)滝山城

場所

神戸市中央区葺合町
山陽新幹線及び神戸市営地下鉄西神・山手線新神戸駅下車北へ

解説

今から約700年前の南北朝時代に赤松円心(あかまつえんしん)によって城山の頂上付近に築城されました。鎌倉幕府討幕のための重要な拠点として機能し、たびたび戦火の舞台となりました。約500年前の戦国時代になると、三好長慶(みよしながよし)の重臣であった松永久秀に与えらます。久秀はこの城を改修し、西摂津支配の拠点としました。その後織田信長が家臣の荒木村重(あらきむらしげ)に与えました。しかし、1578年(天正6 年)に村重が信長に反旗を翻すと、この城も落城しそのまま廃城となりました。現在残る遺構は戦国時代末頃のものと考えられます。現地には30以上の曲輪(くるわ)と堀切(ほりきり)、土塁(どるい)などが残っています。

見どころ

虎口に残る石積みや主郭の北側の二重の堀切は、迫力満点です。

モデルコース

モデルコースマップ(KOBE太陽と緑の道)
https://www.city.kobe.lg.jp/documents/4454/15_20260316.pdf

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丹生山城(たんじょうさんじょう)

丹生山城想像復元図(作図:木内内則氏)丹生山城

場所

神戸市北区山田町
神戸市バス111系統丹生神社前下車北へ

概要

北区山田町と淡河町の間に連なる帝釈山系の丹生山頂に位置します。この場所には、飛鳥時代に創建され平清盛によって再興されたと伝わる明要寺(みょうようじ)という寺院が存在しました。最盛期は山中に多数の坊院がありましたが、戦時には城として転用されました。戦国時代末期、織田軍は東播磨の戦国大名である三木の別所長治(べっしょながはる)を攻めました。それに対して別所を支援する毛利軍は三木城に兵糧(ひょうろう)を送ります。今のJR元町駅近くにあった花熊城を起点とし、丹生山、淡河城を経由して三木へ至るルートを構築しました。天正7 年(1579)5月秀吉はこれを断ち切るため、弟の秀長に丹生山を攻めさせました。その際、丹生山城は焼き討ちに遭い、多くの僧や稚児までが殺されたと伝わっています。補給路を失った三木城は凄惨な籠城戦の末翌年落城します。現在、山頂南側尾根付近と丹生神社、坊院跡の平坦地があります。また、北側尾根には城郭の痕跡として堀切や曲輪などをみることができます。

見どころ

明要寺の参道に点在する石製の丁石は、神戸市指定有形文化財に指定されています。山頂からは瀬戸内海を遠くに臨むことができます。

モデルコース

モデルコースマップ(KOBE太陽と緑の道)
https://www.city.kobe.lg.jp/documents/4454/01_20260316.pdf

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高畑城(たかはたじょう)

高畑城想像復元図(作図:木内内則氏)高畑城

場所

神戸市西区伊川谷町布施畑
神姫バス「太山寺」下車北へ

概要

標高234mの高畑山の頂上にあり、伊川谷と櫨谷を結ぶ峠道沿いに位置します。眺望にすぐれ、南は明石方面まで望むことができます。文明18(1486)年に明石氏の城として築かれ、天正期には明石則実が城主であったといわれています。現在残る遺構は16世紀末頃のものと推定されます。山の頂上には主郭(しゅかく)と、その北東側に櫓台(やぐらだい)状の高まりがあります。さらに主郭を取り巻くように三つの曲輪が囲んでいます。この城の最大の特徴は山裾の峠道沿いの、城の西面に長さ約100mの横堀が掘られていることです。峠道への防御を考えたもので、高畑城の役割が峠の交通を押さえるためであったと考えられます。三木合戦では織田方の城として使われ、別所方の端谷城(はしたにじょう)に対する城と想定されます。

見どころ

城の南側の大きな堀切が目を引きます。かなり埋まっていますが北側にも二重堀切があります。また、主郭からは明石の市街地を望むことができます。

モデルコース

モデルコースマップ(KOBE太陽と緑の道)
https://www.city.kobe.lg.jp/documents/4454/09_20260316.pdf

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