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灘区とコーラスのつながり

最終更新日:2023年5月31日

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灘区とコーラスの深い「つながり」をご存知ですか?
区内には全国レベルのコーラス団体が各世代で活動しています。
このページでは、みなさまにコーラスの魅力をより身近に感じてもらうために、区内コーラス団体のコラムや、灘区コーラスフェスティバルの情報を掲載しています。

(1)コラム
(2)灘区コーラスフェスティバル

(1)コラム

第5回:日本における合唱の黎明期と灘区における合唱活動

 天文18年(1549年)にスペイン人カトリック宣教師フランシスコ・ザビエルが、地の果てまで福音を伝える使命感に燃えて、鹿児島に上陸した。布教と共に讃美歌を歌った最も早い記録として、天文21年の降誕祭に山口の教会大道寺において在留イエズス会士全員でミサが歌われている。平戸などでも熱心に布教活動が行われていたので、日本において最初に歌われたミサではないはずであるが、日本において歌われたミサの最初の記録である。すなわち日本における最初のグレゴリオ聖歌の合唱である。その後豊臣秀吉や徳川家康によるキリスト教禁教令によって徳川幕府末までの二百余年、キリスト教とともにミサは途絶えることとなる。(隠れキリシタンの歴史を省く)

 嘉永6年(1853年)にアメリカのペリー艦隊が浦賀に来航。これを機に今度はプロテスタント宣教師によるキリスト教の布教が展開されることとなる。ペリー艦隊は浦賀入港後の最初の主日に旗艦甲板にてブラスバンドの伴奏で合唱し、その響きは海岸の日本人にも聞こえたという。これを機にキリスト教は解禁となり、次々と教会の設立と同時にミッション・スクールの設立となり、教会で聖歌が歌われ、ミッション・スクールにおいても音楽教育とともに合唱が教授されていった。

 日本における合唱は教会とともにミッション・スクールによって次第に民衆のなかにも広まっていくこととなった。そして明治5年に政府は全国に学制を発布することとなる。音楽教育の開始はしばらく遅れをとるが、日本の学校教育の場における音楽教育が開始されていくこことなる。

 明治22年(1889年)神戸市灘区(現在の王子公園付近)にプロテスタントのミッション・スクール「関西学院」が設立。本館講堂から男声四部合唱が流れた。英語の讃美歌であった。この男声四部合唱が「関西学院グリークラブ」の創立とされている。その後山田耕筰が入部。音楽的才能に優れた彼の力量もあって、同グリークラブは、日本のアマチュア合唱の雄として、今日もなお最高度の合唱を披露し、全日本合唱コンクールにおいてトップクラスの名声を維持し続けている。

 その後終戦間もなく「神戸中央合唱団」が創立され、一般合唱団として日本の合唱界を大きくリードし、全日本合唱コンクールにおいて幾度となく優勝に輝いている。さらに灘区には全日本合唱コンクール高等学校の部において幾度も優勝に輝いている「県立神戸高等学校」、同じく中学校の部において「市立鷹匠中学校」など、「灘区コーラスフェスティバル」に出演している各団体はいずれも長い歴史と伝統を誇り、見事な演奏を披露し続けている。

 このように優秀な合唱団体が灘区に集中している喜びを、まずは灘区民の皆様に広くご承知いただき、これらの団体が演奏を披露する「灘区コーラスフェスティバル」の会場にご来聴くださるようにと願うところである。

(灘区コーラスフェスティバル司会進行 矢田 正一)

これまでのコラム

第4回:今年の灘区コーラスフェスティバルを振り返って/神戸大学混声合唱団アポロン 部長 松田衣里加(令和4年10月)
第3回:神戸高校合唱部75年/兵庫県立神戸高等学校合唱部顧問 林香世(令和4年5月)
第2回:灘区コーラスフェスティバルが設立に至る経緯について/灘区コーラスフェスティバル実行委員長 北畑 雅敏(令和4年2月)
第1回:灘区と合唱の不思議な縁(えにし)/灘区コーラスフェスティバル副実行委員長 濱田 直勝(令和3年12月)

(2)灘区コーラスフェスティバル

灘区の素晴らしいコーラス文化を大切に育て、次代へ伝えていきたい。そのような願いから、平成10年に第1回「灘区コーラスフェスティバル」が開催されました。それから毎年秋頃に、灘区コーラスフェスティバル実行委員会と灘区役所との共催のもと、灘区民ホールにて開催しています。
このイベントでは、区内のコーラス団体(学生から一般まで)が集まり、素敵な歌声を披露しています。
コーラスがもともとお好きな方はもちろん、普段コーラスに触れる機会のない方も、ぜひ、お気軽にお越しください!
これからも癒しのひとときをお届けできるよう、発信・継承してまいります。

令和4年度の開催は、終了いたしました。
令和5年度の開催は、詳細が決まりましたらご案内いたします。

第25回灘区コーラスフェスティバル

経緯

灘区コーラスフェスティバルが設立に至る経緯について、第2回コラムよりご紹介します。


阪神淡路大震災から1年経った頃、まだ灘区内は、倒壊した家屋の後片付けや更地になった地域が多くありました。当時自分の合唱団も多くの団員が被災していましたが、何とか練習再開して行けるくらいの状況でした。自分たちの力になるのは、歌うことだと思い、練習再開しましたが、周辺の状況を見ていると、灘区の被災した方々にも自分たちのお子さんや周りの学校の子供たちが歌う姿を見れば、元気が出るのではないかと思いました。

周りの学校や団体をよく見ると、コンクールなどで立派な演奏する団体が灘区内に沢山ひしめき合っています。これだ!と思いました。灘区の皆さんが元気を出せる、自分たちの地域でこんな素晴らしい合唱が盛んで子どもたちや学生大人など広い世代にわたって元気を出して歌っていることが生きる勇気や自信につながるのでなはいかと思い、コーラスフェスティバルができないか、灘区内で活動する近隣の学校の合唱部や合唱団に一緒にやりませんかと声がけすると共に灘区役所のまちづくり課に相談しました。

当時区役所としても、震災復興のために様々な施策を行っていましたが、心の復興というテーマは当時まだ少なく、多世代にわたってのコーラスフェスティバルは生涯学習の面でも意味があること、さらにまた音楽的に見ても、また全国的に見ても地域にこれだけ多くの多世代にわたっての高水準のコーラスグループがあること自体、区の個性であり、財産でもあるととらえていただき、区役所と共催できることになりました。

始めて数回目の時に合同合唱の指揮をお願いした、元神戸高校の先生で兵庫県合唱連盟理事長でもあられた故平田勝先生から演奏終了後に「いいことやっているから、これからも続けてできたらいいね。」と言っていただいたのを良く覚えています。

震災後灘区の皆さんに元気を届けられ、また灘区から多くの合唱や音楽を愛する人たちが生まれています。この会の意味をあらためて思います。

現在、中学校4団体、高校3団体、大学1団体、一般2団体 いずれも、兵庫、関西を代表する団体で、区民の一人としてもとても誇らしいと思います。

(灘区コーラスフェスティバル実行委員長 北畑 雅敏)


 

お問い合わせ先

灘区総務部地域協働課