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灘百選・神社仏閣②

最終更新日:2023年11月29日

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河内国魂神社(五毛天神)

解説文

平安時代、菅原道真が九州へ流されて行く時、叔父の尊意僧正が見送りに来て、別れを惜しんだ地に、里人が神社を建て道真の霊を祀って氏神としたとの伝えがあります。五毛の古名は「胡麻生(ごまう)」ともあるので、元は摩耶山天上寺領として、灯明用の油をとるためのゴマを作る土地であったと考えられています。毎年5月2・3日には市の無形民俗文化財として登録されている伝統芸能「猿田彦」が境内で奉納されます。

空観堂

解説文

名前の由来となった空観上人は傑僧とも怪僧とも言われ、寛永12年(1635年)畑原の安田家に生まれました。12才にして摩耶山で出家、15才で高野山に登り修学。その後、修業を積んで理観阿闍梨と呼ばれるに至り、別名増栄、理智門または空観と称されるようになりました。空観は、一時摩耶山天上寺の弟子となり、布引山滝勝寺に身をおいたことも。祈祷によって病気の人々を救い、死後も一般の信仰が厚く、この堂を立てて祀られたとのことです。

護国神社

解説文

昭和16年、現在の王子公園のところに県下の戦没者の英霊を祀るために建てられ戦災により焼失。昭和34年11月に現在の場所に再建されました。境内にたくさんの桜があり、桜の名所としても有名で春には花見客で賑わいます。昭和34年に建立された社殿は素木流造と呼ばれ、社務所の前には、帆掛舟に似た松が飾られています。また、毎月第4日曜日には、のみの市やフリーマーケットが開催され、新たな名物となっています。

猿田彦(さるたひこ)神社

解説文

この地は、宝亀元年(770年)から津守の氏族が長く住みつき、海上交通を司どったことから、「津守郷」と称されました。その関わりから、元禄年間(1688年~)に、村人達が交通の守護神として猿田彦を祀ったといわれています。境内には稲荷社と地蔵堂が祀られています。阪神・淡路大震災の被害も鳥居を残してほぼ修復し、境内参集所は、地域住民の憩いの場となっています。

祥龍寺(しょうりゅうじ)

解説文

創建年代は不明ですが、戦時中に供出した正徳2年(1712年)造の釣鐘に記載されている内容によると法道仙人の開祖で、平清盛が当地に都を移した頃は、寺運が盛んであったそうです。その後長い年月を経て、荒廃しましたが、応仁年間(1467年~)に篠原の若林太郎左衛門秀勝によって再興されたといわれています。境内に明治から大正にかけて日本を代表した商社「鈴木商店」の女主人、鈴木よねさんの胸像が建てられており、鈴木家との関係を示しています。

水(すい)神社

解説文

創建年代は不詳。稗田地区は水害が多く、村民たちが農事の無事を祈念するため、水神を祀ったのがはじまりといわれています。地区の厄災守護の社として継承され、明治6年8月に村社に指定されました。同42年2月に稲荷神社を合祀しました。御祭神が水(罔象女神)と稲(倉稲魂神)に関係し、水分と食物という生命を培う二源泉の代表となっています。そのため延命長寿の神様として崇敬されています。

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