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有野町は、南から大池、唐櫃、有野、二郎へと有野川流域に沿って開けた地域です。昭和3年の神有鉄道(現在の神戸電鉄)の開通により、急速に人の往来が増え、都市文化が浸透しました。その後、東大池、唐櫃台、有野台、藤原台、北神星和台などの大規模な住宅団地が開発されました。開発が進む一方で、伝統ある仏閣や神社が各地に現存しており、摂津国有馬郡の一の宮であった「有間神社」をはじめ、二郎の「大歳神社」、平清盛ゆかりの「多聞寺」などが有名です。農業では、特に二郎地区のイチゴ栽培が有名で、4月~6月頃にはイチゴ狩りと沿道直売が行われています。有野町は、北区北部の中心地という要素が強く、行政施設や商業施設なども整備され、ますます発展が期待される地域です。
昔から有馬郡の一の宮として有馬総社といわれていた。もともと、山口町下山口(現在の西宮市)に鎮座していたものを霊亀年間(715~716)の六甲山の洪水により、現在の地に移築したといわれている。境内には、「有馬社」と刻まれた社号碑が2基ある。クスノキの下にある1基は建立当時のものである。また、御旅所には子安石があり、昔から安産の神として信仰されている。
最寄り駅:神戸電鉄 有馬口駅
専念寺周辺地図(外部リンク)
天正2年(1574)以前に創建されたと推定される。建武のころ赤松則村がこの地に滞在していたといわれており、境内に則村と息子則祐の供養碑がある。また、境内には藤原初期の地蔵尊があり、おしゃもじ地蔵という名で親しまれている。また、寺の周辺にはあじさいが約500本植えられており、「あじさい寺」とも呼ばれている。
孝徳天皇のころ(645~654)、現在の地より南東の古寺山に創建されたといわれている。境内には樹齢300年以上のかやの大木があり神戸市より「名木」の指定を受けている。
明治6年(1873)の火災により、寺院の記録などが全て焼失。また、大正8年(1919)に観音堂、地蔵堂も焼失している。境内に「石風呂」とよばれる一畳ほどの御影石があり、石棺であるとか、神嘗祭(にいなめさい)用の米作りの従事者がこれに入って身を清めたという説が伝えられている。