KOBEの本棚 第42号

最終更新日:2023年7月27日

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-神戸ふるさと文庫だより-

  • 第42号 平成14年10月20日
  • 編集・発行 神戸市立中央図書館

内容

山田錦
10月9日 市内にて

  • 「山田錦」(エッセイ)
  • 新しく入った本
  • ランダム・ウォーク・イン・コウベ

山田錦

酒米というお米があります。名前の通り清酒の原料に用いられ、大粒で、中心に心白と呼ばれる不透明な部分があるのが特徴です。心白が大きくて麹菌が増殖しやすいものや、余分なタンパク質が少ないもの、精米中に砕けにくいものが好まれています。代表的な酒米に兵庫県の山田錦があります。今では全国各地で生産されていますが、その誕生には大変な苦労がありました。

酒米特有の高い丈と重い米粒は、倒伏を引き起こします。病気や収量も問題です。兵庫県は明治中頃から農業試験場で品種改良を重ねました。昭和三年には酒米試験地も設けましたが、知識も乏しく、初代主任となった藤川禎次でさえ「いったいどんなことをやったらよいのか見当がつかない」と漏らしたといいます。栽培しては比較する地道な研究を繰り返し、昭和十一年に山田錦が誕生しました。

神戸市でも淡河町などで栽培され、一メートルを超える稲穂が垂れ下がる様が見られます。十月下旬には刈入れを迎えます。

新しく入った本

失われた風景を歩く―明治大正昭和

ビジュアルブックス編集委員会編(神戸新聞総合出版センター)

失われた風景を歩く日本に写真が入ってきたのは天保十二年。明治に入ると、文明開化の先陣として普及していったといわれる。美しい手彩色の風景写真の中には、土産品や絵葉書として、異国に渡ったものもあるようだ。

本書では明治から昭和初期の写真を集め、明石・神戸・東播磨の風景を振り返る。居留地の洋館や須磨の海岸風景、新開地の賑わい。明石市大蔵谷の美しい眺望や大正期の加古川鉄橋など、今では失われた風景はどこか心安らぐ。テーマごとに短いエッセイが添えられ、街の歴史に気軽にふれられる一冊である。

消すという契約

杉山宗義(STUDIO ESTY)

消すという契約著者は神戸市の元消防士。本書は震災時の消防のようすや神戸の消防の歴史、現状などを、日常や旅の感想、詩をまじえ綴ったもの。著者は言う。いま、なぜ消防を語るのか。それは消防が好きで、消防が自分を育み学ばせ、ときに癒してくれたからであり、好きだから四十年余り勤めることができたと。著者の消防への熱い思いと将来を思う気持ちが伝わってくる書。

トライやる・ウィーク―ひょうご発・中学生の地域体験活動

網麻子(神戸新聞総合出版センター)

兵庫県下の公立中学二年生は全員、自分で選んだ地域の幼稚園や病院、商店、農場などさまざまな場所で一週間体験活動を行う。受け入れ先の人達がボランティアで指導にあたる。トライやるがはじまって四年。生徒達は、教育現場は、受け入れ先は、そして見守る親達はこの活動をどうみているのか。問題点を踏まえ、現状を報告しながら今後の課題を考える。

キプリングの日本発見

ラドヤード・キプリング著 H・コータッツィ/G・ウェッブ編 加納孝代訳(中央公論新社)

キプリングの日本発見『ジャングル・ブック』の作者として知られるインド生まれの英国人作家、R・キプリング。

彼は、明治二十二年と二十五年二度にわたって日本を訪れた。

本書はその旅行記である。

自国の文化を誇ることなく西欧文化をまねる日本人を、著者はときに冷ややかに観察するが旅の同行者であるヒル教授がそれをたしなめる。軽妙な二人の会話は旅行記の進行役を果たしている。当時の日本の情景を美しく描きながらも、西欧化の進んだ横浜や神戸オリエンタルホテルに好んで滞在している著者の様子が、いささか滑稽である。

ほほえみに支えられて―コープこうべ

千田明美(コープ出版)

ほほえみに支えられて「年とっても住み慣れた場所で自分らしく暮らしたい」「少し手助けがあれば一人で暮らせる」このような声を受け、コープこうべは約二十年前から有償の家事援助サービスを行ってきた。本書には発足当初からの会の実践が具体的に記される。食事作りや掃除の援助の中に、個々の高齢者の暮らしぶりを大切にした、自立を支える細やかな配慮があることに感動する。

神戸電気鉄道―私鉄の車両19

藤井信夫解説 諸河久写真(ネコ・パブリッシング)

神戸電気鉄道の前身は神戸有馬電気鉄道といい、同鉄道の湊川・有馬温泉間が開業したのは昭和三年のことであった。その後、三田、三木や小野方面へと路線を延長、拡大。昭和二十六年、神戸電気鉄道となる。

こうした神戸電気鉄道の沿革や、使われている車両、各駅の概略などを、豊富なカラー写真をもとに紹介したのが本書。

Merry in KOBE

水谷孝次(水谷事務所)

Merry in KOBEこの本は笑顔の写真集。若い女性やこどもたちが、復興のシンボルとなったひまわりや神戸ウイングスタジアムを背景に、笑いかける。

撮影者の水谷孝次は外国や日本各地でMerry(楽しい、幸福)を撮り続けている。昨年、震災復興記念事業の一環として「Merry in Kobe 2001」を開催。そして今年、ワールドカップ開催期間中の神戸で再び「Merry」を展開した。

笑顔には、人を癒し元気にする力があると感じる。楽しい時はもちろん、苦しい時も笑顔で過ごしたい。そして、未来につなげたい、と思う本。

憧れのパティシェと洋菓子たち―神戸発

村上和子(神戸新聞総合出版センター)

パティシエとは、フランス料理で洋菓子をつくる専門の調理人のこと。本書は、神戸の名だたるパティシエたちを紹介する。さらに、老舗の紹介、製菓専門学校の紹介、豊富な写真で綴った兵庫のお菓子の歴史など、盛りだくさんの内容がつづく。

美しい洋菓子を生み出すパティシエたちの静かな情熱。彼らの作品を食すことができると思うと幸せな気分になる。

兵庫の博物館ガイド

兵庫県博物館協力(創元社)

兵庫の博物館ガイド博物館・美術館・水族館・動物園・植物園など、兵庫県内にある一五五もの博物館的施設を紹介した本。

兵庫県全体を、神戸・阪神南・阪神北・丹波・東播磨など九つの地区に分け、それぞれの地区にある施設を、カラー写真をふんだんに使って案内する。

本書を読むと、楽しい博物館が県内にはたくさんあることが分かり、行ってみたくなる。

深い音

小田実(新潮社)

深い音主人公の橋本園子の視点から語られる被災直後から追悼式典を迎える一年後あたりまでの物語。震災がなければ巡り会わなかった人たちと主人公との関わりが復興途上の街を背景に描かれる。

運命の日、生き埋めと焼死の危機から園子を助けたのは七十歳半ばらしき老人と中学二年の孫だった。復興途上の街の様子の多くは行政への批判を含めて、この黒川老人の会話の中で語られる。

震災後七年が過ぎたが、本を開くと生々しく響く暗い音。震災を体験しない読者にもリアルな実感をもたらすだろう。

その他

  • 東播磨の歴史 1 古代 東播磨の歴史を考える実行委員会編(神戸新聞総合出版センター)
  • 関西ニュー風土記 日本経済新聞社編・発行 ※新しい関西の動きを紹介
  • 神戸からのレポート―大震災-情報の共有とコミュニケーション あぜふてつし著 日本機関紙協会兵庫県本部編(兵庫機関紙宣伝センター)
  • 声を聞かせて―難聴子育て奮戦記 大島玉子(文芸社)※頑張るお母さんの奮闘記
  • 癒されて旅立ちたい―ホスピスチャプレン物語 沼野尚美(佼成出版社)※多くの「生と死」の記録
  • 20世紀の災害と建築防災の技術 日本建築防災協会編(技報堂出版)
  • KOBE光のアバンセ 雨宮彬(文芸社)※神戸を舞台にした恋愛小説
  • 平家物語紀行 本宿綽保(文芸社)※平家物語を歩く

ランダム・ウォーク・イン・コウベ 42

神戸の占領軍

日本は昭和二十年(一九四五)八月十四日、連合国のポツダム宣言を受諾、同年九月二日、降伏文書に調印しました。これより、日本統治の権限は連合国軍に委ねられることとなります。

神戸への占領軍の進駐は昭和二十年九月二十五日に始まります。

米第六軍第一軍団第三三師団約一万五千名が神戸、西宮、宝塚、姫路に分駐するため和歌山に上陸しました。うち約六百名が先遣隊として和歌山駅を出発、夕闇せまる午後五時すぎ三宮駅に到着しました。その後、進駐は翌日にかけても続き、神戸地区への兵の数は五千五百人に達します。

占領軍の進駐に際し、兵庫県警は七百人の警備隊員を配備し、万全の態勢を整えてその日を迎えます。このころは、警察の武装は残置するという占領軍命令が出る前のことであり、進駐軍が警察官の携帯する武器をとりあげる事件が多く発生していました。そのため、兵庫県警は警備の警察官に「マッカアサー元帥の要請に依り適当の武器を所持するものなり」とのメモを携帯させ、トラブルに備えました。また、市役所では、中井一夫市長ほか、局長以上が万一に備え待機しました。しかし、これらの心配をよそに、進駐は、静かにそして整然と進められたのでした。

占領軍を迎えるにあたっての市民の心情は複雑でした。神戸市発行『神戸市民時報』では、「進駐軍を迎ふに当って我等の心構え」と題して市民への注意が掲載されました。新聞でも「国際人の自覚をもって」「イエス、ノウははっきりと」などが、心構えとして書かれています。特に女性に対しては、一人歩きや夜間の外出を控え、化粧も控えめになどの細かな注意がよびかけられました。女性への乱暴を危惧してのことでした。中井市長も、女性職員を加東郡社町へ疎開させたほどでしたが、実際には、そのような心配は杞憂に終わります。

進駐後、海岸通りにあった神港ビルに神戸基地軍司令部を、兵庫県会議事堂二階に兵庫軍政部を置いた進駐軍は、次々と土地や戦災を免れた建物の接収を始めました。主だったものでは三宮の税関前の九万五四八一坪(イースト・キャンプ)、神戸駅裏の一万五一三坪(モーター・プール)、神戸駅前の三万一一八一坪(キャンプ・カーバー)などです。神戸市における接収の土地総面積は約六十一万坪にものぼりました。

元町の大丸では全館接収の通知を受けながら、首脳部が陳情を続け、部分的な接収にとどめることに成功しました。占領軍でありながらも、アメリカの民主主義の一端をうかがい得た、と当時の大丸神戸店支配人は述懐しています。しかし、完全な返還には約八年の月日を要しました。

また、十一代神戸市長である小寺謙吉氏の洋館も接収対象になりましたが、気概をもって対応した逸話が小伝に残されています。

昭和二十六年九月、サンフランシスコにおいて講和条約が調印され、進駐軍は駐留軍となり徐々に接収の解除が行われました。しかし、接収物件のすべての解除が終了するのは、昭和三十年代の半ばまで待たなければなりませんでした。

Sketches of Japan 1945

このたび、カンザス州在住のケネス・ポッター氏よりスケッチ集を寄贈いただきました。このスケッチ集には終戦後の神戸、京都の街や人々の様子が描かれています。(十七枚の内、神戸を描いたもの八枚)

第二次世界大戦が終わり、日本に駐留していた氏のお父様が翌年本国に持ち帰られたものだそうです。おそらく兵士たちのお土産用に軍が製作したものでは、とのことですが、詳細は不明です。

ケネス・ポッター氏のスケッチ1

ケネス・ポッター氏のスケッチ2

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