KOBEの本棚 第44号

最終更新日:2023年7月27日

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-神戸ふるさと文庫だより-

  • 第44号 平成15年6月20日
  • 編集・発行 神戸市立中央図書館

内容


ビーナスブリッジより眼下に広がる神戸港

  • 「屋上緑化」(エッセイ)
  • 新しく入った本
  • 書庫探訪
  • ランダム・ウォーク・イン・コウベ

屋上緑化

毎年夏になると、今年は去年より暑い、さらには昔はもっと涼しかった、と思うことはないでしょうか。

ヒートアイランド現象などにより局地的に気温が高くなっていることは事実です。この現象は都市部に起きることが多く、自動車の渋滞やビル群からの反射熱や吐き出される人工の熱が原因となります。この気温の上昇も緑を豊かにすることで抑制されることから、屋上緑化や壁面緑化が注目を浴びています。

屋上緑化とは、その名のとおりビルなどの屋上を緑化するもので、ヒートアイランド現象の緩和だけでなく、大気の浄化や冷暖房用電力の省エネにもつながります。兵庫県では昨年より屋上緑化を条例化しました。神戸市でも、新規に屋上や壁面を緑化する場合には助成金を支給しています。

この屋上緑化の大がかりなものとしては、一九六〇年三月竣工の神戸市花隈公園駐車場がはじまり(『hiroba』463号)とも言われています。

新しく入った本

神戸わがふるさと

陳舜臣(講談社)

神戸わがふるさと子供の頃から長年に渡って神戸に住まう作家の一冊。著者自身が大切にしている神戸の風景への思いや、震災以後、神戸とともに奮い立とうとした思いがエッセイとして綴られている。また中間部に集められた小説は主に一九六〇年代に描かれた短編で、前述のエッセイとは別の当時の神戸が顔を見せる。著者の持ち味が生かされた一味違った「神戸の記録」である。

神戸まちかど散歩

神戸新聞総合出版センター編集・発行

神戸は国際港都といわれ、横文字やカタカナの似合う街というイメージが強い。しかし、そんな神戸も歴史は古く、平家ゆかりの地など歴史的な場所も数多く残っている。

本書は、おしゃれな街・神戸だけでなく市内全域にある、ちょっと気になる建物や歴史を語るモニュメントなど満載のまち歩きガイド。観光客はもとより神戸っ子にとっても新たな発見がありそうだ。

学校の力―ひょうご・教育最前線

神戸新聞社会部編(神戸新聞総合出版センター)

学校の力―ひょうご・教育最前線今、学校現場では何が起きているのか。県下のいくつかの学校での取り組みを神戸新聞で連載したところ、多くの反響をよんだ。それをまとめたのが本書。

記憶にある学校のイメージ、そしてこの本に描かれた「今の学校」風景を重ね合わせると、学校とは縁が切れた身にも、教室の様子が浮かんでくる。少しクールなイマドキの小学生を指導する熱血先生の話。荒んだ中学校を先生、保護者、生徒が立て直す話。続きを読まずにいられない面白さだ。いい話だけではない。教師の性犯罪の項がある。巻末に新学習指導要領に関するアンケートを掲載。

みどりのコミュニティデザイン

中瀬勲・林まゆみ編(学芸出版社)

みどりのコミュニティデザイン近年、環境問題について関心が高まる中、震災で多くの被害を受け、荒れ果てた神戸の町の姿は、みどりの持つ力を人々に改めて考えさせることになった。

ガレキに花を!と、整地待ちの空き地に種を蒔いて回る団体、苗木や畑、ため池を作る団体など、どれもが住民や行政を巻き込んだ活動をしている。地域のみんなでみどりを育てるコミュニティをつくろう。本書にはそのエネルギーが詰まっている。

現代都市再開発の検証

塩崎賢明ほか編(日本経済評論社)

閉塞した日本経済のなか、各地の市街地再開発事業がゆきづまっている。困難を乗り越え事業を実施しても、再開発後の運営が成り立たない現実がある。

本書では、震災後、復興市街地再開発事業地区の一つに指定された新長田南地区に特に焦点を絞り、計画の経緯、現状を詳細に検証する。地域の繁栄と今後の巨大再開発事業のあり方の教訓となることを願いながら。

今竹七郎とその時代 グラフィックデザイン、モダン絵画の先駆者

今竹七郎の記録編集委員会編(誠文堂新光社)

今竹七郎とその時代今竹七郎。彼は、一九〇五年、神戸市下山手に生まれた。

神戸大丸の宣伝部を皮切りに大阪の高島屋宣伝部を経て、終戦直後の一九四六年にはスタジオ『日本デザイン』を設立。二〇〇〇年二月に亡くなるまで生涯現役、あくなき情熱をもって疾走し続けた彼は、病院のベッドでも仕事を続けたという。

日常生活の中で今も目にするあのデザイン、このマークは、彼の作品だったのか、と新たな発見をきっとされることだろう。実際に本を開いて確かめていただきたい

天涯の船

玉岡かおる(新潮社)

天涯の船明治十七年、神戸港から私費留学生としてアメリカへ渡る若者たちの中に、姫路藩家老のひいさま酒井ミサオの身代わりとなった一人の娘がいた。自分の意思さえ持つことが許されず、異国の地で怯えていた十二歳の娘は、やがて美しく聡明な女性へと成長する。

同じ留学生の桜賀光次郎とお互い心惹かれあうが、結ばれることなく、二人はその後、日本とヨーロッパで波乱にとんだ人生を送ることになる。しかし、相手への思慕は変わることなく、終生お互いの人生に大きく関わり続ける。

桜賀光次郎は川崎造船所初代社長で、松方コレクションでも有名な松方幸次郎がモデル。

行きかう詩人たちの系譜

和田英子(編集工房ノア)

神戸市在住の詩人が、郷土にゆかりのある詩人たちの交友関係などさまざまなエピソードをまとめたもの。

神戸新聞に投稿していた中学時代の足立巻一、赤穂生まれの平田内蔵吉、織田喜久子のことなど。こういった人々が、著者の豊かな人脈をもって集められた膨大な資料にもとづいて描かれている。読み手は文壇の香りに触れ、紹介された詩集や同人誌への興味をかきたてられる

ドミノのお告げ

久坂葉子(勉誠出版)

久坂葉子は昭和六年、神戸市で生まれた。十九歳のときに書いた作品「ドミノのお告げ」がその年の芥川賞候補になるほどの文学的才能があったが、二十一歳の若さで亡くなる。

「ドミノのお告げ」は隆盛を極めた自分の家が没落していくようすを淡々と描いた佳作で、この作品に「華々しき瞬間」「久坂葉子の誕生と死亡」などの代表作を加えたのが本書。

その他の新刊

  • 瓦礫のまちにひまわりを―阪神・淡路大震災語り部 荒井勣(友月書房)
  • ラッキーウーマン―マイナスこそプラスの種!竹中ナミ(飛鳥新社)
  • 京都人と大阪人と神戸人―こんなに違う 丹波元(PHP研究所)
  • 哀しき道化師―鴨居玲の絵画と生の軌跡 哀しき道化師―鴨居玲の絵画と生の軌跡
  • 兵庫県ことば読本 兵庫県高等学校教育研究会国語部会編(東京書籍)

書庫探訪 その1

『INAKA』Kobe Herald発行

INAKA明治44年(1911)、H.E.ドーントを中心に当時の在留外国人たちによって神戸カモシカクラブ(The Kobe Goat Mountain of Club)と名付けられた山岳会が設立されました。『INAKA』はこのクラブの英文機関紙として大正4年(1915)から同13年(1924)まで全18巻発行されたものです。

さる5月20日、神戸ゴルフ倶楽部創立百周年記念の競技大会が開催されました。同倶楽部は、イギリス人貿易商A・H・グルームが私財を投じ、六甲山に日本初のゴルフ場をつくった2年後に完成しました。この倶楽部の会員でもあったドーント編集による同紙は山岳とゴルフの機関紙となっており、第1巻の1頁はこのグルームへの感謝のことばで埋めつくされています。

関西はもとより信州等、後に登山の名所といわれる山々の自然や地元の人々の暮らしの点描を含む記録は、ゴルフばかりでなく日本の登山史の第一級資料といわれています。

ランダム・ウォーク・イン・コウベ 44

神戸の石炭

一八五三年(嘉永六)、ペリー提督が率いるアメリカ東洋艦隊四隻の黒船が来航して以来、我が国は西洋諸国の強烈な開国要求に、国論は統一出来ず、混乱をきわめていました。時の将軍徳川家茂は一八六四年(元治元)、大阪湾を視察、随行した勝海舟の摂海防衛の進言をいれ、神戸、湊川、和田岬の三ヶ所に砲台を築き防備を固めると共に、「海の男」を育成する操練所を開設することを決めます。同年五月に広く塾生を募集し、「神戸海軍操練所」がスタートしましたが、その二年後には閉鎖されるという短命な施設となりました。ここには坂本竜馬や後に第四代兵庫県知事となる陸奥宗光など、幕末から明治にかけ、活躍する人材が学んでいます。

海軍操練所跡

勝海舟の構想は、神戸海軍操練所に、幕府が所有する「観光丸」と「黒龍丸」の二隻の蒸気船を練習船とし、その燃料に、当時高取山(長田区)の麓で発見されたという石炭を利用するというものでした。採掘された石炭の品質の良い物は操練所の船の燃料に使い、余れば他藩に売却、さらに品質の悪いものは海水を煮立てて作る製塩用の燃料として売り、得た利益を操練所の維持経費に当てようと考えたのです。

  • 観光丸:一八五五年オランダ国王から幕府に贈られた「スンビン号」を改名。外輪式蒸気船。
  • 黒龍丸:一八六三年アメリカで建造、「コムシング号」を改名。木製内輪式蒸気船。

さて、神戸での石炭採掘は何時頃から行われたのでしょうか。『兵庫県史料』には、一八五七年(安政四)、播磨国神西郡森垣(現朝来郡生野町)の石川八左衛門が、車村、奥妙法寺村(現須磨区)で採掘したとの記録があります。この情報を得た勝海舟が八左衛門に開発を命じ、先の構想を実現しようと試みますが、神戸海軍操練所の閉鎖に伴い中止となります。その後、運搬用の道路修復が行なわれ、八左衛門が採掘を再開しました。

兵庫県資料

この頃イギリス海軍は兵庫に蒸気船用の貯炭場所の提供を幕府に申請、許可を得ています。蒸気船の燃料に石炭が使用され、その需要も増えていたものと考えられます。

幕府の京都奉行が兵庫の石炭操業について実地調査をした上で、1.品質は良い 2.価格は肥前唐津産と同じ 3.需要があるので石炭会所を兵庫新在家町に設置したい4年間約三百万斤(百斤は六〇キログラム)が見込まれる、と老中に上申、開発許可を得ました。

その後奥妙法寺村に新坑が発見され、一日百五十人が働き、三万斤が算出されました。神戸開港時の兵庫奉行であった柴田日向守も強い関心を寄せ、イギリスからの最新鋭の採掘機の導入も計画していたほどです。品質について鑑定を依頼されたクーレー(フランス人)は、上等の海軍用の「トヰル」質ではないが、中等の「サニット」質であると報告しています。

明治時代になると東尻池村、西尻池村や池田村(いずれも現長田区)でも石炭採掘の願いが出されていますが詳細は不明です。生田川付替え工事を行った加納宗七も山田村小部(現北区)で採掘申請していますが、何れも事業として続いていません。クーレーの鑑定とは違って、品質が劣っていたか、埋蔵量が少なかったためでしょう。

船に水と燃料は必需品であることは今も昔も変わりません。しかし、燃料は石炭から重油にとってかわり、モクモクと黒煙を吐いて走る船は映画の中だけとなってしまいました。水は「コウベウォーター」としてブランド品になりましたが、石炭は、神戸で採掘されたという事実さえ人々の記憶に留まることなく消えていきました。

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文化スポーツ局中央図書館総務課