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区の概要

最終更新日:2023年9月8日

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長田区は市の中央部よりやや西に位置し、北に高取山、南に海、新湊川、苅藻川に形づくられた南北に細長い区域です。その歴史は古く条里制の痕跡が今でも残っています。明治から大正期に市街地の開発が行われました。

1945年に当時林田区であった地域を分離・統合して誕生しました。「長田」という地名は、苅藻川沿いに長くひらけた田地が続いていたことから付けられたと言われています。

北部地域は丘陵地帯になっており、最北部には北区にまで及ぶひよどりごえ森林公園、北西部には早朝登山や六甲全山縦走などで親しまれている高取山もあり、区民の憩いの場となる自然環境に恵まれています。

写真:高取山

中部・南部地域は市営地下鉄をはじめ神戸高速鉄道・山陽電鉄・JR線などの鉄道網が整備されており、商店街や主要な官公庁が集まる地下鉄長田(長田神社前)駅周辺と、市場や商店街・ケミカルシューズ産業などが集まるJR新長田駅周辺を中心に発展してきました。南端にある長田港一帯はみなと神戸の一翼を担っており、建設資材や食料品・重油などの積み卸し港・いかなご漁などの漁港としても知られています。そばめしや粉もんなどの独自の食文化があり、区内ではグルメイベントの開催や「こなもんマップ」などのグルメマップも作成され、広く発信する取り組みが行われています。

写真:長田港

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により、長田区をはじめ既成市街地は大きな被害を受けました。とりわけ長田区内では地震で直接921名の尊い命が犠牲になるとともに、家屋は全半焼が4,772棟・約30ヘクタール(市内の全半焼の約6割)、全半壊が23,803棟(市内の全半壊の約2割)にのぼるなど壊滅的な打撃を受け、区内の人口(1995年10月1日)では96,807人(1967年の45%)となりました。

こうした現状にあっても地域住民は自らの生活を立て直し、地域での支えあいの輪を広げ、明日への希望を持って一歩一歩前へ進んできました。また国内外から多数のあたたかいご支援をいただきました。

写真:鉄人28号のモニュメント
©光プロ/KOBE鉄人PROJECT2020

2009年に震災復興のシンボルとして、若松公園に鉄人28号のモニュメントが完成しました。また2010年には旧二葉小学校を改修し、地域の人材育成の拠点として「ふたば学舎」がオープンしました。さらに2019年には兵庫県と神戸市の公営住宅や税に関する部署が入居する「新長田合同庁舎」が完成しました。職員約1,050人が働き年間30万人の来庁者が見込まれる施設で、新長田が大きく変わることが期待されます。

写真:
ふたば学舎

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新長田合同庁舎

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大橋地下道

近年、新長田エリアには若手のクリエイターやアーティストが多く移住してきています。彼らの活動拠点となることで、空き家や空き店舗の利活用が進んでいます。また地域の方々と協働し、2015年から下町芸術祭が開催されるようになりました。多様な表現方法や価値観がこのまちから生まれ、クリエイティブなまちとして新長田の魅力を高めています。

下町芸術祭メインビジュアル
写真提供:シタマチコウベ

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長田区総務部地域協働課